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ASCII.jp:SNSをやめる人が続出? なぜTwitterは面白くなくなったのか 

リハビリ的に。

同編集部の若手・西牧くんが、すごくいい切り口だった。構図としては、メディアとコンテンツの関係としたほうがわかりやすいかもと思ったが、編集的な判断としてはTwitterやFacebookとして出したほうが親和性と話題性は高いので、正解だろう。

ぶっきらぼうにいうと、みんなが見ているとあったとしても、そのみんなが具体的にどこの誰であるのか分からないものに価値はあるのか。

人によるが、カテゴリとしてのSNSはライフラインにシフトしている。Twitterに至っては、東北震災以降はライフラインになってしまった(クローズドもふくむとLineも)。上記記事でも指摘されているが、Webは受動的なものになり、TVや新聞と似たものになっている。購読=フォローする人とすれば、しっくりくるだろうか。TLは自分で作るものだが、最終的には受動的になる。面白い人を探す=メディアを探すともいえるだろう。RSSのころからの図式だけど、そういった層は能動的に取りに行く時代を経ているので、あえて割愛が正しい。

正直なところ、書店で本を探すに近い。フォローするまでは、だ。それ以降は急に顔が変わってTVみたいになる。一方的にタイムラインに近況やネタが飛び込んでくる。SNS自体、10年なのでそろそろ変革や、SNS以外の何かにシフトするのかといった感覚もあるが、メディアとコンテンツとして考えると、ちょうどいい着地点だろう。

「最近、ソーシャルメディアに対して漠然とした、得も言われぬ違和感がある」

冒頭部からの引用になるが、この違和感は拒否反応だろう。SNSに対しての拒否反応か、コンテンツへの拒否反応かはわからないけれど、人のキャパシティには限界がある。あるときから特定の雑誌やメディアを読まなくなった。誰にでもあることだと思うが、そんなところじゃあないだろうか。

もうひとつ。震災や使用期間の長さから、ライフラインとしてあまり認識せず、ライフライン的に運用していたのであれば、また見え方は変わる。ライフラインとしての扱いに気がついたか、なにか疑問をもったか。「なにか」はなんとなくぼんやりしているのだけど、可視化が影響しているだろう。Aさんはすごくハッピー。そんなことがすぐに分かる。これが分かることがなんなのか。近しい存在であれば、たとえネットがなくても時間をおいて伝聞されることだ。とくに接触もない人物のハッピーはなんなのか。幸せであるのはいいことだが、恐ろしく自分とは関係性がない。さらに、それをタイムラインで受動的に見ることになってしまうことに意味があるのか。これはハッピーだけでなく、不幸についても、問題提起にしても同様だ。とくに問題提起については、高齢者の運用方法に疑問が多い。どうみても違うものを満たしているようにしか見えない。

自分の場合だと、TwitterとFacebookを見なくなった。精神的なものが起点だったが、いま時点では見る理由が見つからないし、書きながら考え直してみたが、変わることはなかった。友人が豊富であれば、連絡を取るついでに見るという可能性もあるが、友人はほとんどいない人種なので、やはり見る理由がない。誰彼の近況が気になることもない。知ってどうするんだろう。そんな疑問が浮かんだからだ。記事掲載のメモがてらの宣伝ツールではあるが、それもいま必要なのかという疑問もあるし、もしかすると、自分の宣伝について疑問を感じたからもしれない。ついでに言うと、旺盛な生放送やビデオレビューだけでなく、ブログすらも見なくなった。これはよくわからないが、マイペースでチェックできないのが受け入れがたいのかもしれない。もちろん、ヒマなときであればエンタメとしてはいいのかもしれないが。ともあれ、いまはたまに風景を見ながら本を読むのがイイ感じだ。

業務的にまずいなぁと思うのは、メディアも見なくなりつつあることだが、目の前にハードウェアがあって、それがええもんだよ、ここがダメだよって言えるのであれば、見なくてもいいんじゃあないかという判断もある。当然ながら最低限の仕様情報を確認する必要はあるのだけども……書いていて気がついたのだが、そういったインプットを削いでいくなり(=アウトプットするものがない)、疑問におもって距離を置くなりした先に何かありそうな気もする。もしかすると昭和時代に体験しているかもしれないんだけど、すごくぼんやりしていて分からない。このあたりは表現ってなんだろう、平行感覚なんだろうって話になるので、ここで止める。

ただ連絡手段としてのSNSは浸透しすぎてしまった。そのため、Messengerだけはいちおうブックマークに入れてあるし、通知もくるように設定している(スマホからは普段アンインストールして、外出するときにインストールしている)。メールについても疑問がいくつかあるので、そういった部分ではSNS上における連絡ツールは便利だ。業務用メールは3行も書かないことばかりだし。タイムテーブルだとかどうしても情報量が多い場合はメールにするくらいだ。

それでふと、購入したものの評価最悪だったApple Watchに目がいった。必要最小限の情報だけ表示させるとした場合、もっとも適している(Apple Watchだけでなく、スマートウォッチ全般に言えることだが)。もやもやっとしているのだけど、これはなんだろうなぁと見ているところだ。ちょっと懐かしい感覚もあるので、1周したとみるべきかもしれないが。


あ、メディアに属しながら、メディアについてすっごい疑問を持ち始めてるだけだな、これ。しばらくぼんやり考えると楽しそうではあるけども、さて。