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踏まれ写真について

冒頭で述べておくと、自分はいわゆるドMではない。業種的にドMワールド全開であるのはたしかだが、踏まれることにより性的興奮を覚える類いではない。どうして踏まれているかというと、最初はネタである。ビジュアル的にユニークであり、記事用の近影兼落ちとしての請求力は上々だった。なぜ、請求力を得たのかといった解説はここでは省くが、簡潔にいえばアホっぽいからだ。

 日本国内において踏まれている絵は、倒錯のイメージを持つ。ちょっと歴史を遡ると、侮辱的描写であったり、敗者への恥辱であったり。思いっきり遡ると、単純に性的理由で踏まれたいことであったりするので、文化的に体系ができているといえる。ただ、その手の写真を見て感じたのは、純粋に「きもい」だった。性癖については、十人十色であるため、それを理由にその人を嫌悪することはないのだが(むしろ、三大欲に正直で清々しくもある)、「きもい」と感じた理由が気になっていた。そういったバックボーンを経て、あれこれと書籍や画像、映像を見ていたところ、下記のようなプロセスを経ているため、そういった感情を抱くのではないかの結論に着地した。

・特定シチュエーションにおける脚
・M側がその脚を見ていたり、見ていないふりをしながら意識したり
・この時点でM側の脳内はどういう風に踏まれるのかといった想像でいっぱい
・踏まれる
・スタートからゴールまで、およびその状況など多々の要素により、性欲を満たされた瞬間の顔

 上記が大まかなもので、ポイントは最後の顔である。恍惚やらなんやらの感情が入り交じっているケースが多く、とても人的だが、自分からすると不気味の谷に入っているようだ。そこで思ったのが「きもい」と感じた部分を取っ払うにはどうしたらいいか。楽しそうと思わせるにはどうしたらいいか。究極的には「自分もやってみよう!」と思わせるにはどうしたらいいか。こう書いてみると、原稿仕事におけるエクスペリエンスの提案となんら変わりないのだが、このあたりはもう職業病だろう。つまるところ「じゃあカジュアルに踏まれるには。それをどん引きされないように見る側に伝えるにはどうしたらいいだろう」だ。なお上記のプロセスは、最新ガジェットを手にしてウフフとなるまでのエクスペリエンスとなんら変わりがない。またフェチや倒錯した性癖は、嫌悪感から始まることもあるため、世の中は紙一重だ。

 さらに「きもい」と感じた要素を考えてみると、上記した表情があり、やたらとしっかりと撮影されたデータがあり、そしてシチュエーション。カンタンな手法として、それらを反転させてみるものがある。おそらく、なにかしらの名称はあるのだろうが、そっち方面には疎いので業務上で得られたノウハウとして以下となる。

・普通の笑顔
→楽しそうを演出(実際楽しい)。わかりやすいポイントとしてピースサインを入れる

・撮影をスマホに限定する
→コンデジやミラーレスでもいいかと考えたが、その場でサッとできる=ガチじゃないという演出

・テンプレ的な場所では踏まれない
→そういった方面では雰囲気も含めて重要だが、この場合は逆にイメージダウンなので、その辺やパブリックから見て変な場所を選択

・撮影はそのときにいる方
→しれっとプロカメマンやら写真家先生が撮っていたりするが、かっちり決まりすぎないようにするため

・踏んでいただく女性には指示を出さない
→どういった表情をするのかといったのもあるが、女性のほうがフェチへの理解度が高いという判断から

 要約すると記念撮影的なものになるが、ある程度、踏まれ写真がたまり、俯瞰してみたところ、コンテンツ性が出てきたと体感できたので、踏まれている写真を撮られている理由を述べてみた。もちろん、上記がすべてではないし、まだぼんやりしている部分もあるのだが……ただの実地検証だよなぁ、これ。(平常運転記事の書き方のプロセスとまったく同じ)